専業主夫になった経緯

専業主夫

はじめまして。管理人のにゃはっぴーです。

アラフォーのおっさんです。

人生初のブログ&専業主夫に挑戦中です。これから自分と家族と世の中がどういう風に変化していくのか、見ていこう書いていこうのスタンスで日々更新していくブログです。

ときどき毒を吐くことがありますが、温かい目で見てやってください。

現時点の夢は、持病を治してブログ&アフィリエイトで7桁プレイヤーになって妻に楽をさせてあげることです。

まずは自己紹介から

僕は高校生になるまではどこにでもいそうな普通のサッカー少年でした。(それなりにやんちゃでしたが)

高校入学後、アニメ『セーラームーン』にハマりオタクの道を行くことに。(今でもなぜセーラームーンにハマったのかは覚えていません。)

高校卒業後、コミケ(主催者側)の為の休みがしっかり取れるだろう、という理由から公務員(郵便局)になりました。

就職して半年が経ったころ、職場の先輩にパチンコに誘われ行くことになりました。

そこでなんと10万円の大勝!!

よくある話ですが、僕もその罠にはまりアニメそっちのけでパチンコ屋に入り浸る日々が続きました。

今の時代ではありえないのですが、当時僕は仕事帰りに郵便局の制服(緑色の時代)を着てパチンコを打っていたために、パチンコ屋での僕のあだ名は『郵便局』でしたwww

駆け落ちからの結婚

20歳の僕の生活パターンは完全に固定されていて、

  • 郵便局で働く
  • パチンコに行く
  • パチンコに勝っても負けても屋台村で晩御飯
  • そのあと飲み屋で3時くらいまで飲む
  • 7時に起きて郵便局に出勤する

という感じでした。

この生活に危機感を持った親友が「彼女がいればきちんと生活するだろう」と思ってくれて女性を紹介してくれました。

たしかにその子と付き合い始めたら、だんだんパチンコにも飲み屋にも行くことがなくなりました。

そして3年が経過したころに、彼女の家に結婚の挨拶に行ったところ、僕がまだ23歳で若すぎるということでアルコール依存症の義父が猛反対。(彼女は早くに母親を病気でなくしています)

このままでは彼女がアルコール依存症の義父の犠牲になってしまうと思った僕は、義父が仕事の時を見計らって彼女の家から荷物を運び出し、同棲をスタートしました。

その後、同棲4カ月目で結婚しました。

今は一人の娘を持つ親として義父になんてむごいことをしたのだろう、と反省しています。

親になる

結婚して1年が経過したころ、妻の妊娠がわかりました。

当時の僕たち夫婦は週4で夜の営みがあっても子供を授からなかったので、一生2人で生きていこうと話していた矢先の出来事でした。

妊娠がわかって8か月後無事に出産し、未熟な23歳の若造が親になりました。

子供が生まれてすぐ、義父に報告とお詫びも兼ねて挨拶に行きました。そこで義父は僕たちのやったことを一切咎(とが)めず、ただただ孫の誕生を喜んでくれました。

今はお墓に手を合わせることしか出来ませんが、義父は一人の男として、また子供三人を男手一つで育て上げた親の先輩として非常に尊敬していますし感謝もしています。

配置転換

親になった僕は今の郵便局(配達)では生活していけないと思い、簡易保険の営業に配置転換してもらいました。

今は郵便局も分社化していますので、郵便配達から簡易保険の営業へは難しいと思います。

当時、簡易保険の営業は歩合給もそこそこ大きかったので億万長者になる勢いで営業に精を出しました。

一年目で新人賞を獲得し、二年目で近畿地方成績優秀者上位50名に選ばれました。

給料も郵便配達をしていた時より約3倍になりまさに順風満帆でした。

歯車が狂い始める

順風満帆に簡易保険の営業をしていたつもりでしたが、2年目のはじめくらいから毎日嘔吐が止まらないなど体に変調をきたしていました。

そんな日が1年間続きついに体と心がパンクしてしまいました。

周りから見たらさぞ不思議だったでしょう。

結婚して子供も生まれ営業成績はバツグン、まさにイケイケドンドンな僕が精神的な病気になったのですから。

ここから歯車が狂い始めます。

出社したくても体が動かない。それでも無理に仕事に行こうとすると嘔吐が止まらない。

結果、病気休暇をとることになり、その後は職場復帰→病気休暇という繰り返しで結局退職することになりました。

それと同時に僕の母親が自己破産。僕の名義で借りていたお金があり、郵便局の退職金がそちらに消えていきました。

まさに天国から地獄です。

復活

郵便局を退職して2年間は単発バイト(主に交通量調査)などをしながら生活していました。

その2年間は義父の介護も兼ねて妻の実家に住んでいたので家賃や光熱費がいらなかったのは本当に助かりました。

妻にもパートに出てもらい幼稚園の送り迎えと子守りは僕が担当して病気の療養につとめました。

2年後、体と心の調子が回復した僕は正社員として零細企業の工場に就職しました。(元公務員という事で休職期間が長いのに割と簡単に就職できました)

その後、給料もどんどん上がり入社6年目で郵便局で保険の営業をしていたときの給料を超しました。

またイケイケドンドンです。

暗転

入社して9年が経過した頃、会社の業績が頭打ちになりました。

それに伴い給料も頭打ち。

社長の息子が入社することに伴(ともな)い急きょ人件費削減の為に人減らしをする事になりました。

僕に話が来たのでサクッと断ったら翌日からパワハラが始まりました。

一年間のパワハラの後、すごい裏技を使われて正社員からアルバイトに降格させられました。

娘も高校生だったのでアルバイトの給料では生活できないので40歳過ぎて転職をすることになりました。

僕が仕事を辞めると同じくらいの時期に父親が地域のコミュニティのお金(約170万円!!)を横領していたことが発覚しました。

昔からお世話になっている地域の役員の方に「今後の補助金の問題もあるので事件化しないでくれ」と頼まれ、僕としても娘のことを考えると祖父が犯罪者というのは娘にとって不利に働くかも、という思いから僕が全額補填することにしました。

転職活動中に1年間のパワハラや父の横領の影響もあって以前の病気が再発しました。

実質リストラされ1年が経過しましたが、今の想いは冒頭でも書いた通り、専業主夫&ブロガー&アフィリエイターとして稼いで、妻に今まで苦労をかけたぶん将来は楽をしてもらうことを目標に頑張っていきます。

つたない文章で読みにくいこともあるとは思いますが、皆様のお役に立てるブログにしていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

にゃはっぴーでした。

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